#18 タブレット読書、事始め

タブレット読書に興味を抱いたきっかけは、視力の低下からです。
文庫の文字サイズがキツくなってきました。
本を貸し借りする仲間(読友とでも言いますか?、これを表現する言葉が今まで無かったのが不思議な感じ)から借りていた「出星前夜」(飯嶋和一著)の中盤、かなり面白くなって来て早く読みたいのに、読むスピードが急に低下。全然前に進めないのが悔しいばかり。最近、遅読になっていたのは確かですが、年のせいにするのもちょっとって思ったりします。

年齢ですか? 確かジョージ・クルーニーと同い年だったでしょうか。
彼もそろそろ視力が落ちているはず。
(ゆえに、ジョージ・クルーニーが書いている文章だと思って読んでもらっても結構です)

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選んだのはKindlePaperwhite(第1世代)。アマゾンが提供している読書用タブレット。手頃な価格だったことが一番の理由で、iPadよりも、もっと小さめというのが実に良いです。大きなタブレットだと電車の中とかで開くのに、他人の視線が気になって読書どころではありません。勇気が全然なくて、ジョージ・クルーニーは実に小心者ですから。

読書以外の機能は不要だったので、これ以降の高機能製品は眼中にはありませんでした。内臓バッテリーが数週間持続するというのが驚異です。
太陽光の下でも読み易いという触れ込みに惹かれたこと。電子化されている図書もきっと多いのだろう、という期待も後押しして、Kindleに決定。アマゾンでショッピングカートにいれてから商品が届くまでが、さすがに早かったです。

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さて、おずおずとKindleを開いてみます。充電しならがら早速、「出星前夜」を購入、あっという間に(あらよっ、でもいいけど)ダウンロード。ページめくりの機能に慣れないまま、文字を追いかけます。期待通り、読み易い。バックライトの加減が素晴らしくて明るめの用紙を見ているような感覚、決してモニターを見ている感じではありません。文字サイズも選ぶことができるし、さすがデジタル。

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さっそく読み始めます。慣れないせいか、字面を滑りがちになります。文字が頭に入らないまま、眼だけがツルッと先へと進む感覚。滑読に注意です!あえてゆっくりと読み進めて自分のペースを掴みます。
液晶画面は横書きという観念が頭の奥底にあって、縦書きということに脳がうっすらと混乱しているのかもしれません。

ページめくりが一瞬というのも慣れません。アナログ読書の場合、ページめくりが、読書に一定の時間の隙間と読解のリズムを生んでいるような気がします。
どうやらタブレットを使用するのに、自分の読書技術を進化させる必要がありそうです。

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かつての読書には本を読むという背景に、その時々の日常が記憶として貼り付いていました。

幼い頃に買ってもらった児童書。だれも起きて来ない早朝に、布団をかぶったまま、うつ伏せて、そっと畳の上に開いて朝の光で読むことが、何よりも楽しい習慣でした。新しい本の香りと頬にひんやりと触れる紙の感触をいつでも思い出すことができます。それはスタインベックの「赤い子馬」だったり、デフォーの「ロビンソン・クルーソー」だったり。

読書とは、それほどフィジカルな体験です。

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読書体験には個人の歴史が刻まれます。

デジタル化は、「古びること」を解消してくれます。
それと引換えにフィジカルなものを失います。

例えば、映画「ドットハック セカイの向こうに」(後半はほどんどが仮想の世界での出来事)を観ると、デジタルがいかにフィジカルなものを奪っていくのかを知ることができます。

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私はこれからタブレットを使っていくことになりそうです。

でも、生きている実感を刻みながらのアナログ読書も止めたくないなァ、
っていう思いは、消えることは無いみたいです。