#13 猛暑の大阪に天神祭の季節

天神祭は日本三大祭のひとつである大イベントです。昨年の来場者数は125万人。
地域活性化の契機となって、少しでも経済効果をもたらせれば良いですね。

菅原道真公といえば祟り神です。浪花の人々のエネルギーと商機を逃さない敏感さはこの御霊信仰をいつの間にか熱気あふれる祭典に変えてしまいました。

ところで、この天神祭がどうして大阪に根付いて、挙行されるようになったのでしょうか?考えてみれば、不思議ですよね?

今回の話題は神事ですが、宗教のお話しではありません。
天神祭とは何かを改めてひも解いて、大阪人の気質に触れてみたいと思います。

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日本三天神とよばれているのは太宰府天満宮、北野天満宮、防府天満宮です。
ここには大阪天満宮は入っていません。

太宰府天満宮に祀られているのは、言うまでもありませんね。
菅原道真公が藤原氏の策謀で、901年に太宰権師に左遷されて、筑前の国の太宰府で薨去されたことは良く知られています。

京都の北野天満宮は天神信仰の本拠地です。
菅原道真公の死後、平安京では道真の祟りと思われる異変が相次いで発生します。政敵であった藤原時平が909年に39歳の若さで病死。保明親王(時平の甥)、慶頼王(時平の外孫)が次々と病死。清涼殿への落雷が決定的で、それを目撃した醍醐天皇が3ヶ月後に崩御します。
道真の怨霊が雷神だと思われて、祟りを鎮めるために、火雷天神が祭られていた北野に天満宮を建立します。

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防府天満宮の創建には、京から太宰府までの当時の交通事情を知る必要があります。
瀬戸内海は古来より、畿内と北部九州を結ぶ水上交通路でした。
陸地の山並みを目視しながら航海する「地乗り航法」で日中のみ航行します。潮の流れを待ち、風を待つために幾つもの寄港する要所がありました。
今も神戸市、今治市、築上町(福岡県)、福岡市には「綱敷天満宮」がその名残りとして存在します。
山口の勝間の浦も太宰府へ向う途中に寄った宿泊地でした。
そんな縁もあり、防府に日本で最初の天満宮が創建されました。

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そして、大阪天満宮創建の縁(ゆかり)とは?

大阪の地も同じく水上交通が関わってきます。
平安京から瀬戸内海に至るには、鴨川または桂川を下って淀川に出ます。
そして、菅原道真公もこの経路で瀬戸内海へと向いますが、途中で河内の国に立ち寄ります。
道明寺にいる叔母の覚寿尼(かくじゅに)を訪ねて別れを惜しみました。この道明寺周辺は道真公の祖先にあたる豪族、土師氏の根拠地でした。
道真公は覚寿尼を訪ねた後、大将軍社に参拝し航海の安全を祈願します。

そして、この大将軍社で怪事が起きます。数年後のある夜、社の前に七本の松が生え、夜毎にその梢が金色に光り輝いたといいます。
村上天皇はこれを道真公の奇瑞だとし、大将軍の森に天満宮が創祀されました。
これが大阪天満宮の創建でした。

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実は北野天満宮でも社殿造営の縁起に同様の奇瑞がありました。一夜で千本の松が生えるところに社殿を建てるようにとの神託があり、その場所に社殿(観音堂、後の北野神宮寺)が造営されたと言われています。(『北野天神縁起』)

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実はこの松という木が大切な要点です。

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「大阪の神さん仏さん」(出版:140B)の中で高島幸次先生(大阪大学招聘教授)の御講話によると、天神信仰を読み解くには植生が重要な手がかりとなります。

天神信仰が成立した平安中期は、平安京を取り巻く植生が照葉樹林から針葉樹林に転換した時代だそうです。神道は照葉樹林の中から生まれました。神道の神事には「榊」が欠かせません。
天神信仰ではその役目を「松」が務めます。

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平安中期まで、主な神社は藤原政権の下で国家に統制されていました。
しかし、天変地異や度重なる疫病流行の中、既成の神道では対応できなくなってきました。
そこから、反体制的な存在として生まれてきたのが天神信仰でした。
つまり「松」は従来とは全く違う新しい霊力を象徴したものだったのですね。

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藤原政権を脅かす道真公の怨霊。権力への抵抗を覚える人々には小気味の良い出来事だったのかも知れません。
つまり、権力に惑わされず、正しきことを見極めて、それを貫くという精神が大阪という地に根ざしていたのかも知れません。
大阪の人々はすでにこの頃から判官贔屓の気質を持っていたのでしょうね。

だから、天神信仰はスッキリと受け入れられました。

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大阪は奈良時代から外交の玄関口でした。コミュニケーションの最前線であり、この頃から既に商売人の気質と社交パーティに長けたおもてなしの気質が育まれていたのでしょう。

機会さえあれば、みんなで愉快に騒ごうという精神が天神祭を盛り上げて、水都祭まで合体させて、花火まで楽しもうという大掛かりな真夏の一大イベントとなりました。

各地で行われる天神祭の中でも、大阪天満宮による祭が最も有名で、今では大阪を代表する祭です。

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また、今年も天神祭がやってきます。

今年も船渡御(ふなとぎょ)の多くの船が大川に浮かぶことでしょう。
夜の底に茫漠と広がる船の灯りを眺めながら、道真公の思いに共鳴した大阪人、権力に頼らない地方主義など地域再生への強い思いをこめて、眺めてみるのもいいかも知れませんね。

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天神祭は今年も7月24日、25日に開催されます。
まだ、体験されていない方は、ぜひ大阪の伝統ある祭典にお越し下さい。