オリジナルってなんなのだろう〔16万人のデザイナーの矜持〕

やりづらい。とても、やりづらい。
仕事なんですけど、本当にやりづらくなっちゃった。
日本のデザイナーは全員やりづらくなったんじゃないでしょうか。
もともと出来の悪い筆者なんぞは、これ以上やりづらくなったらどうすればいいんだろう。(って、これはケンソンね、ケンソン)

先日来、世間を賑わしている東京五輪のエンブレム。白紙撤回となったアレです。

もともと儚いデザイナーたちの名誉は、ごく短期間で失墜しちゃいました。

「なんだ、奴らはインターネットから素材を拝借して簡単に作っているのか。パクっているだけじゃないか。素人と同じだ。それが創作って言えるのか?」って。
「そんな作品にお金なんか払えるか」って思う人が増えて、制作対価が下がっちゃったら、デザイナーの生活にも関わってきますもの。

日本には、16万人のデザイナーがいます。皆〜んなやりきれない思いでいると思いますよ。

なんてことだ?(筆者は小峠さんのファンですので、ちょっとこんなのも織り交ぜながら)

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問題は、佐野研二郎さんのデザイン事務所「MR_DESIGN」の制作管理。
それとインターネットという世界があまりにも締まり無さすぎると思いませんか?。

インターネットは節度を持つ人も持たない人も同じように利用できる、あまりにも緩〜くて、べらぼうな情報過多の世界。
画像検索だけでも、プロの作品からアマチュアの作品、利用自由のもの、転用禁止のもの、国内のものから海外のものまで、同じレベルで無作為に並んだ状態で提示されます。

自由な世界であればあるほど、利用者も提供者も個人の責任は増大します。
甘い考え方で利用しちゃった人は、しばらくは上手くできているかのようでも、一度つまずいてしまうと、それまでの分以上に世間から袋叩きにされてしまいます。有名人であれば、「地球規模の袋叩き」に遭います。怖いですね〜。なんでもすぐにグローバルスケールで騒いじゃうのがインターネットです。
「なんて人たちだ」

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佐野研二郎さんの事件は、本当のところは本人にしかわかりません。本人もわからないかもしれません。しかし、そのように見えてしまったことが不覚にも致命傷でした。

盗作がダメなことは誰でも知っています。オリジナルなものを作りたいっていう気持ちは皆んな同じなんです。
簡単に「オリジナル」と言っちゃいましたが、「オリジナル」って、つきつめれば何なのでしょうか?
何なんだ?(筆者は小峠さんのファンですので、隙あらば)

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古代ギリシャでは、昔の人の作品を模倣している作品の方が芸術的だとされていました。

そもそも生物は模倣をしながら成長します。
親の行動を真似ながら、言葉を覚えて、道徳を学んで、危機対応を学び、生き方を学びます。あなただって私だって、そうやって大人になってきたんですもの。
新入社員は先輩社員の行動を見習いながら、ベテラン社員になります。
「弟子っ子よ、おいら(親方)の背中を見ながら、技を盗むんだぜ」

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生命の歴史は模倣、複製することで発展してきました。
個体発生は系統発生を模倣します。(言い方は難しいですけど)
哺乳類は魚類を経て、エラの裂け目ができて、手足が形成されてから、エラがふさがる、これが系統発生です。(進化の過程のことね)
個体発生は母親の胎内でこれと同じ段階を経たうえで、胎児という形態となります。(これは胎児が母体の中で成長すること)
まさに模倣こそが生命の基本です。

(昔、夢野久作の「ドグラマグラ」っていう小説のモチーフになっていました。「胎児の夢」なんてね。でも、古くて知ってる人は少ないかなぁ)

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また、「利己的な遺伝子」の著者として有名な動物行動学者、進化生物学者であるリチャード・ドーキンスは、人から人へコピーされていく文化的な情報単位として「ミーム」という概念を定義しました。
模倣を意味するmimから作った言葉だそうです。

ミームという概念を利用すれば、ファッションや流行語やメロディや災害時に飛び交うデマなど、文化情報が伝達される仕組みを説明することができます。
ミームは強い伝染力を持っています。

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今回の東京五輪のエンブレムのデザインは騒動になったことで、かなりの数の人の脳に伝達されました。騒動自体がミームの一つとなりました。

また、酷似しているベルギーのリエージュ劇場のロゴもまた、強力な複製力を秘めたミームだったかもしれません。

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文化情報が複製される根底には、「憧憬」があります。音楽制作の場合はリスペクトだと言ったり、映画制作の場合にはオマージュや、パロディだと言ったりします。

文化は複製の産物です。文化はデザイナーの複製作業から生まれるのかもしれません。憧れが強い作品から、知らぬ間に自分に肉化した要素があります。そこから、大きな差異を持って進化した作品を生み出すことがデザイナーの使命です。

「大きな差異」これこそが、オリジナルの要素じゃないかって思います。

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前回(1964年)の東京オリンピックのエンブレムをデザインしたのは亀倉雄策氏。この作品は後世に強い印象を残して、今を生きる日本のデザイナーの憧れです。

亀倉雄策氏のエンブレムのデザインはフランスのデザイナーアドルフ・ムーロン・カッサンドルの影響を多大に受けていることは一目瞭然です。世界的に有名なカッサンドルの影響を受けないデザイナーは余程の勉強不足です。だと思います。じゃないかな〜、多分。

亀倉雄策氏はカッサンドルから、見事にオリジナルのデザインを創出しました。

亀倉雄策氏やカッサンドルのデザインを何かの折に応用したいと潜在的に、憧れる気持ちが高まっているデザイナーはかなりの人数のはずです。
それだけ、彼らの作品がミームとしてのパワーを持っているからです。

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しかし、クリエイターの使命は新たな作品として、昇華させること。
憧憬する作品から応用するときに考えることは、構成の鋭さなのか、色彩計画なのか、粋(いき)なのか、モチーフなのか、自分は何に惹かれたのかを的確に分析して、どの部分をすくい取るのがいいのかを見極めることです。

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例えば、こんなことだって起きるかもしれません。
同じミームから影響を受けた二人のデザイナーがそれぞれに作品を昇華させながらも双子のように似通ったデザインを生み出してしまうというようなことが。
そっくりな作品が生まれてしまったことは、オリジナルの亜流作品でしかありません。
オリジナルを超えて行く力を持っていなかったから、独自性が出せなかったんです。
使命を果たせなかったことに憤りや恥じを感じて、その作品を廃棄してしまうくらいの気概を持つべきです。

それが、デザイン業界の隅っこで、(ホントに隅っこで申し訳ないですが)働く筆者の個人的な見解です。
そして、16万人のデザイナーの気概であってほしいと願っています。

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締め切りギリギリでなんてことだ。
(当然、他人のギャグもパクってはいけません)