#28 オリジナルってなんなのだろう 〜16万人のデザイナーの矜持〜
デザイナーたちの信頼が問われる時
やりづらい。とても、やりづらい。
仕事なのですが、本当にやりづらくなってしまいました。
日本のデザイナーの多くが、同じような思いを抱いたのではないでしょうか。
もともと出来の良い方ではない筆者などは、これ以上やりづらくなったらどうすればよいのだろうと、少し不安になります。
もちろん、これは謙遜です。
先日来、世間を賑わせている東京五輪のエンブレム。白紙撤回となった、あの件です。
この騒動によって、デザイナーという仕事そのものへの信頼も、少なからず揺らいだように感じます。
「デザイナーはインターネットから素材を拝借して、簡単に作っているだけなのか」
「安易に流用しているだけなら、それは創作と言えるのか」
そう感じた方もいたかもしれません。
もしそのような見方が広がり、「そんな制作物に対価を払う必要はない」と考える人が増えてしまえば、デザイナーの仕事や生活にも関わってきます。
当時、日本には約16万人のデザイナーがいるともいわれていました。多くのデザイナーが、やりきれない思いを抱いたのではないでしょうか。
インターネットの利便性と危うさ
今回の騒動では、制作プロセスや管理体制、権利確認のあり方も大きく問われました。
同時に、インターネットという世界が、あまりにも膨大で、権利関係が見えにくい環境であることも改めて意識させられました。
インターネットは、節度を持つ人も、そうでない人も同じように利用できる、非常に自由で情報量の多い世界です。
画像検索だけを見ても、プロの作品からアマチュアの作品、利用可能なもの、転用禁止のもの、国内のものから海外のものまで、同じ画面上に無作為に並んで表示されます。
自由な世界であればあるほど、利用者にも提供者にも、個人の責任が増大します。
安易な考え方で利用してしまった場合、しばらくは問題なく進んでいるように見えても、一度つまずけば、それまで以上に大きな批判を受けることがあります。
有名人や著名なプロジェクトであれば、その批判は国内にとどまらず、世界規模で拡散していきます。
それが、インターネット時代の怖さでもあります。
誰でもオリジナルを作りたい
東京五輪エンブレムをめぐる一連の騒動について、本当のところは外部から断定できません。
しかし、そのように見えてしまったことが、結果として大きな問題となりました。
盗作が許されないことは、誰でも知っています。
そして、オリジナルなものを作りたいという気持ちは、クリエイターであれば誰もが持っているはずです。
簡単に「オリジナル」と言いましたが、突き詰めれば、オリジナルとは何なのでしょうか。
模倣と芸術
古代ギリシャでは、過去の優れた作品を模倣することが、芸術の重要な学びであると考えられていました。
そもそも生物は、模倣しながら成長します。
親の行動を真似ながら、言葉を覚え、道徳を学び、危機への対応を学び、生き方を身に付けていきます。
私たちも、そうやって大人になってきました。
新入社員は、先輩社員の行動を見習いながら、やがてベテラン社員になります。
職人の世界でも、親方の背中を見ながら技を学ぶという考え方があります。
生命という模倣
生命の歴史は、模倣や複製を通じて発展してきたとも言えます。
かつて、「個体発生は系統発生を繰り返す」という考え方がありました。
現在ではそのまま単純に受け止めることはできませんが、生物の発生過程には、進化の歴史を思わせる共通した特徴が見られることがあります。
個体の成長過程の中に、生命の歴史を想像させる要素がある。
そう考えると、模倣や反復は、生命そのものに深く関わる営みなのかもしれません。
夢野久作の小説「ドグラ・マグラ」でも、胎児の夢という印象的なモチーフが扱われています。
少し古い作品ではありますが、生命と記憶をめぐる不思議な感覚を呼び起こす作品です。
ミーム
また、「利己的な遺伝子」の著者として知られる動物行動学者、進化生物学者のリチャード・ドーキンスは、人から人へコピーされていく文化的な情報単位として「ミーム」という概念を提唱しました。
ミームという言葉は、模倣を意味する語に由来し、遺伝子のように複製される文化情報を表すものとして使われています。
ミームという概念を利用すれば、ファッション、流行語、メロディ、災害時に飛び交うデマなど、文化情報が伝達される仕組みを説明することができます。
ミームは、時に強い伝播力を持っています。
複製力
今回の東京五輪エンブレムのデザインは、騒動になったことで、非常に多くの人の記憶に残りました。
騒動そのものが、ひとつのミームになったとも言えるでしょう。
また、類似性が指摘されたベルギーのリエージュ劇場のロゴも、多くの人に知られることになりました。
それもまた、強い複製力を持ったミームだったのかもしれません。
文化という模倣
文化情報が複製される根底には、「憧憬」があります。
音楽制作の場合はリスペクトと呼ばれたり、映画制作の場合にはオマージュやパロディと呼ばれたりします。
文化は、複製の積み重ねから生まれる面があります。
デザインもまた、先行する表現を学び、分析し、そこから新しい差異を生み出していく営みです。
憧れが強い作品から、知らないうちに自分の中へ取り込まれている要素があります。
そこから、大きな差異を持って進化した作品を生み出すことが、デザイナーの使命なのではないでしょうか。
「大きな差異」。
これこそが、オリジナルの重要な要素ではないかと思います。
亀倉雄策氏
前回、1964年の東京オリンピックのエンブレムをデザインしたのは、亀倉雄策氏です。
この作品は後世に強い印象を残し、今を生きる日本のデザイナーにとっても憧れの存在となっています。
亀倉雄策氏のデザインには、フランスのデザイナー、アドルフ・ムーロン・カッサンドルの影響や共通性を感じる論者もいます。
カッサンドルは世界的に知られるデザイナーであり、多くのデザイナーに影響を与えた存在です。
亀倉雄策氏は、そうした先人たちの表現を学びながら、見事に独自のデザインを創出しました。
亀倉雄策氏やカッサンドルのデザインを、何かの折に応用したいと潜在的に憧れるデザイナーは、少なくないはずです。
それだけ、彼らの作品がミームとしての力を持っているからです。
デザインの見極め
しかし、クリエイターの使命は、憧れた作品をそのままなぞることではありません。
新たな作品として昇華させることです。
憧憬する作品から何かを応用しようとするとき、考えるべきことがあります。
自分は、その作品の構成の鋭さに惹かれたのか。
色彩計画に惹かれたのか。
粋に惹かれたのか。
モチーフに惹かれたのか。
自分は何に惹かれたのかを的確に分析し、どの部分をすくい取るべきなのかを見極めること。
それが、デザインにおいて極めて重要なのだと思います。
デザイナーの気概
例えば、こんなことが起きるかもしれません。
同じミームから影響を受けた2人のデザイナーが、それぞれに作品を昇華させようとした結果、双子のように似通ったデザインを生み出してしまうことが。
しかし、そっくりな作品が生まれてしまったのであれば、それはオリジナルを超えるだけの差異を持てなかったということでもあります。
つまり、独自性を十分に出し切れなかったということです。
その時、デザイナーは、使命を果たせなかったことに悔しさや恥を感じ、その作品を世に出さない判断をするくらいの気概を持つべきではないでしょうか。
それが、デザイン業界の片隅で働く筆者の個人的な見解です。
そして、約16万人のデザイナーの気概であってほしいと願っています。
締め切りぎりぎりで、オリジナルとは何かを考えることになりました。
当然のことながら、他人の表現を安易に借りることも、他人のギャグをそのまま使うことも避けなければいけません。
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