#21 京のあれこれ 〜ちょっと不思議な京都人気質〜
※本記事は、2014年当時に配信したメールマガジンを、ホームページ掲載用に一部表現を整えたものです。
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富岡製糸場の世界遺産登録は、久々の明るい話題でしたね。
ワールドカップで日本中が肩を落としていた頃、第38回世界遺産委員会が開催され、登録が決まったのが、奇しくもカタールの首都ドーハでした。
サッカーの記憶とも重なる土地で、日本にとって明るい知らせが届いたことには、不思議な巡り合わせを感じます。
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さて、今回の話題は京都です。
京都は、1994年に「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されています。
日本では、奈良の法隆寺地域、兵庫の姫路城、鹿児島の屋久島、青森の白神山地に次ぐ登録でした。
京都は、1,200年以上の歴史を持つ古都です。
奈良と並ぶ古都としての意識もあり、京都にとって世界遺産登録は、感慨深い出来事だったのではないでしょうか。
今回は、そんな京都のあまり知られていないお話をご紹介しましょう。
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まずは、「将軍塚」の話から。
平安京は、794年10月22日に日本の首都として始まった都市です。
長岡京から平安京へ、都そのものが移されました。
その背景には、桓武天皇が弟である早良親王の怨霊を畏れたことも一因とされています。
早良親王は、藤原種継暗殺の嫌疑により淡路へ流される途中で亡くなりました。
後に崇道天皇と追号され、怨霊として畏れられる存在となります。
平安京の場所を決める際、和気清麻呂が桓武天皇に京都盆地を見下ろす場所から進言したとされています。
現在でいえば、東山ドライブウェイの頂上付近にあたる場所です。
都の鎮護のため、高さ2.5メートルほどの将軍の像を土で作り、鎧や兜を着せ、太刀を帯に差し、弓を持たせて塚に埋めたと伝えられています。
これが「将軍塚」です。
今でも、将軍塚大日堂、青蓮院の飛地境内に残っています。
平安末期以降は、天下に異変がある時、その前兆として将軍塚が鳴動すると考えられていました。
曇天となり、兵馬が駆ける音が聞こえるとも伝えられています。
保元の乱や治承の乱の直前には、将軍塚が鳴動したとされ、京都中が大騒ぎしたそうです。
都を守る存在として、今も京都を見守っているようにも感じられます。
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さて、世界遺産に登録されていない名所として、しばしば話題にのぼるのが「伊勢神宮」です。
そんな伊勢神宮と縁のある場所が、「野宮神社(ののみやじんじゃ)」です。
嵯峨野にある野宮神社には、珍しく真っ黒な鳥居があります。
クヌギの木の皮を剥かずに、そのまま鳥居に使用したもので、これが日本最古の様式だそうです。
野宮とは、伊勢神宮に奉仕する斎宮が、伊勢に出向く前に、世俗から離れて心身を清めるため、しばらく身を置く場所のことです。
斎宮は、天皇が即位されるごとに、天照大神の御杖代(みつえしろ)、つまり天皇の代わりに奉仕する存在として、伊勢神宮に遣わされました。
はじめの頃、野宮はいろいろな場所に設けられていました。
しかし、嵯峨天皇の代から、野宮神社に設営されるようになったとされています。
そうした貴重な行事が行われていた名残が、嵐山にある野宮神社です。
都を出て伊勢に着くまでは、5泊6日を要しました。
官人や官女を合わせて数百人の道中で、これを「斎王群行」と言うのだそうです。
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では、そろそろ「京都人気質」の根っこに触れる話をしてみましょう。
1,200年以上、都市として繁栄している場所は、世界でも有数です。
アメリカが建国してから238年ほどであることを考えると、京都の歴史の長さがよく分かります。
京都の人々には、長い歴史への誇りがあります。
京野菜がブランド品として知られているのも、都の食文化の中で工夫を重ね、育まれてきた背景があるからでしょう。
京都人と天皇を語るには、避けられないテーマがあります。
明治維新の時、東京遷都は行われたのか。
幕末の大政奉還により、天皇親政に際して遷都の気運が高まりました。
しかし、江戸の情勢は不安定であったため、浪華遷都の建白書が提出されていました。
これに対して、京都では強い反対があり、浪華遷都案は廃案となります。
天皇は、行く先も定まらない中、天保山で軍艦をご覧になっていたともいわれています。
その後、江戸城への移動や東日本の安定を視野に入れる中で、「東西両都」という考え方が出されました。
ここで注目されるのが、「東京遷都」ではなく「東京奠都(てんと)」という言葉です。
奠都とは、元の都を廃止しないまま、新たな都を定めるという意味なのだそうです。
天皇は京都の人々にも東京の人々にも配慮しながら、行き来を繰り返されました。
東京へ向かわれることに対し、京都の人々の間には不安や反発もあったようです。
そのため京都府は、天皇はこれからも各地へ行かれるが、京都は千年以上お住まいになった大切な場所であるため心配はいらない、という趣旨の告諭を出しました。
その混乱の中では、名古屋への遷都案まで出たそうです。
今でも京都の人々の中には、次のような思いが残っているのかもしれません。
東京が都であるなら、京都もまた都である。
天皇のお住まいは京都にもあり、今は東の方へお出ましになっている。
お留守の間は、自分たちが京都をしっかり守っていく。
そのような気概が、子へ、孫へと受け継がれてきたのでしょう。
京都というまちは、単に古い歴史を持つだけではありません。
長い時間をかけて積み重ねられた誇りと美意識が、今も静かに息づいているまちなのです。
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