#22 私が敬慕する市井の歴史学者 池田仁三氏について
※本記事は、2014年当時に配信したメールマガジンを、ホームページ掲載用に一部表現を整えたものです。
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一般に、市井の歴史研究家というと、慎重に受け止められることがあります。
トロイの遺跡を発見したシュリーマンでさえ、実際には利潤を追求する経営者であり、遺跡発見の功績がある一方で、遺物の扱いについては批判もあります。
そのため、市井の研究者による説が、いぶかしい目で見られることがあるのも、仕方がない面があるのかもしれません。
しかし、ほんのわずかなのかもしれませんが、そうした市井の研究者の中にも、真摯に事実へ向き合おうとする、尊敬すべき人がいることも確かです。
私は池田氏に出会い、そのような研究者の存在を初めて知ることとなりました。
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2010年の夏、池田市の観光マップを作成する仕事が入ってきました。
池田市の印象は、大阪府の中でも比較的北寄りにあり、大阪市街のような派手な商業地域ではなく、どちらかといえば、昔からの住宅地域といったものでした。
私のように不案内ではなく、よくご存知の方であれば、「呉春」という名酒や、桜で有名な五月山があるではないか、とおっしゃるでしょう。
さらに、落語ミュージアムやインスタントラーメン発明記念館も挙げられるかもしれません。
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マップ制作にあたって、ボランティアの観光案内の方々にご協力いただき、市内を巡りながら、いろいろと教えていただきました。
ご案内は皆さん実に丁寧で、ご親切でした。
定年後のボランティアにも関わらず、驚くほど健脚の方々です。
今から思っても、本当にありがたく、深く感謝しております。
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池田は、昔から交通の要衝でした。
7つの街道が池田をまたいでいます。
亀山へ抜ける「余野街道」、能勢妙見山へ通じる「妙見道」、能勢高山までの「高山道」、勝尾寺と中山寺を結ぶ「西国巡礼道」、能勢の妙見山や亀岡方面に抜ける「能勢街道」、有馬まで行ける「有馬道」、西日本と京都を結ぶ重要路「西国街道」。
また、猪名川に面しており、川を下れば神崎川へとつながります。
そのため、大阪湾まで物資を運ぶこともできました。
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歴史上のさまざまな人々が、これらの街道を行き交いました。
また、文化交流の場ともなったため、高い文化と知性がこの街に蓄積されてきたのでしょう。
後に阪急電鉄と宝塚歌劇団を生んだ小林一三氏がこの街に関わり、近代日本の実業界に影響を及ぼしていくのも、そうした背景に根があったのかもしれません。
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池田の寺社をいくつか案内されながら、少し不思議に思ったことがありました。
それは、その神社の多くで、末社に神功皇后が祀られていることでした。
神功皇后といえば、住吉大社の第四本宮にも祀られています。
古事記や日本書紀には、神功皇后が新羅へ向かったという説話が記されています。
ボランティアの方のご説明によれば、池田では猪名川が氾濫することが多く、海の神としても信仰される神功皇后に守っていただくために祀られているとのことでした。
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また、池田には大きな謎がひとつあります。
五社神社の境内の裏側に、ひっそりとその入り口があるのが「鉢塚古墳」です。
これは、巨大な横穴式石室を持つ墳墓です。
その規模は、飛鳥の石舞台古墳を思わせるほどです。
大きさは同程度でありながら、鉢塚古墳の方はしっかりと土の下に収まっており、さらに高度な石組みの技術が施されています。
天井石に至る上部が、アーチ状に積み上げられているのです。
ここを案内していただいた時は、さすがに驚きを覚えずにはいられませんでした。
この規模であれば、よほどの権力者の墳墓に違いありません。
被葬者について尋ねると、未だに分からない謎だということでした。
「鉢塚古墳」という名前の由来は、神功皇后が三韓征伐から持ち帰った鉄の鉢をここへ埋めたことによるとのこと。
ここでも、また神功皇后が登場しました。
五社神社のすぐ近くにある若王寺釈迦院にも、神功皇后の鉄鉢の故事があります。
豊臣秀吉の朝鮮出兵の際には、北政所、いわゆるねねが戦勝祈願にここまで参りに来たといいます。
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この古墳のことが、気になって仕方ありませんでした。
誰が埋葬されているのでしょうか。
職場に戻ってから、図書館で借りてきた池田市史に関する資料をつぶさに精査しましたが、被葬者の記載はどこにもありません。
その後、数日間はインターネットでも調べていました。
私のような素人が、今まで不明であった被葬者を突き止めることなどできないのは分かっています。
ましてや、インターネットで簡単に見つかるはずもありません。
そう思いながらも数日後、検索サイトの深いところをさまよっていた時、「池田鉢塚」という文言にたどり着きました。
古墳陵主墓碑銘調査を行っていた、池田仁三氏のホームページでした。
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そこには、被葬者名として次の名が記されていました。
「息長宿禰命(おきながのすくねのみこ)・迦迩米雷王子(かにめいかずちのみこ)」。
それは、神功皇后の父王にあたる人物でした。
神功皇后が三韓征伐から持ち帰った鉄の鉢という勝利の証を、この墳墓へ埋めたという伝承。
それが父の墓であったと考えると、物語としてつながって見えてきます。
池田氏の墓碑銘調査の方法は、コンピュータによる画像解析とのことでした。
きっと解析された画像があるに違いありません。
そう思うと、証拠となる画像を見たくてたまりませんでした。
池田氏に連絡を取ると、お会いいただけることを快諾してくださいました。
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近畿日本鉄道で伊勢市へ。
五十鈴川駅にお出迎えいただいた池田氏は、小柄ながらも気骨を感じさせる方でした。
軽自動車へと案内され、運転しながらも、休む間もなく話し続けられました。
私はほぼ、相づちだけの状態でした。
自衛隊の出身であること、当時は伊勢市史の編纂を任されていることなど、さまざまなお話を伺いました。
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ご自宅に上げていただくと、鉢塚古墳の碑石の画像と、紅茶とブルボンのアルフォートが出されました。
その画像には、池田氏が「息長宿禰命」と読み取った文字が示されていました。
そして、解析の方法を惜しげもなく説明してくださいました。
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碑石の写真画像をパソコンに取り込み、ソフトで彩度、明度、コントラストを調整することで、碑石表面の凹凸、墨の炭素粒子や朱の水銀アマルガムの痕跡を識別可能にするという方法です。
墓碑銘は、石室が残存している場合、石室入口上部の鏡石や、石室内部の奥壁・側壁など、比較的見やすいところに刻まれているとのことでした。
石棺の場合、棺はおおむねすべての面に、蓋は上面や周辺部に、底板はその上面に刻まれているとのことでした。
もし古墳に墓碑銘を読み取ることができるならば、漢字伝来に関する従来の理解に一石を投じる可能性があります。
また、長く不明であった古墳の被葬者についても、新たな視点が生まれるかもしれません。
そんな思いで、池田氏の話を静かに聞いていました。
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池田市の観光マップに記載したい旨を説明しますと、池田氏はこう答えられました。
「従来の学説を重視する方々に、私が今までの調査結果を説明すると、受け入れていただけないことも多くありました。先方が役所なら、経験上、記事にするのは難しいかもしれませんよ」
そう淡々と答えられました。
それでも最後には、「でも、やってみなさい」と言ってくださいました。
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いけだ市民文化振興財団のご担当者はとても気さくで、人の思いを汲み取ってくださる方でした。
池田市役所の担当の方々も、興味深い記事だから掲載したいと理解を示してくださり、観光マップに掲載することができました。
記事についてのお問い合わせなどで、ご迷惑をお掛けしたかもしれません。
それでも、池田市が古来より受け継いできた文化を大切にする地域であることを、あらためて実感いたしました。
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池田市には、織物の技術がこの地に伝わったという織姫伝説があります。
歴史上では、機織りの技術は秦氏の渡来とともに伝わったとされています。
秦氏の祖である弓月君(ゆづきのきみ)は、応神天皇の時代に渡来した人物と伝えられています。
応神天皇の母は神功皇后です。
そして、池田氏の見解によれば、その祖父である息長宿禰命が、池田に関わる権力者であった可能性があるということになります。
記紀に伝わる神功皇后の説話、応神天皇、秦氏、機織りの技術、そして池田の織姫伝説。
それらを並べてみると、歴史の糸がゆっくりと結ばれていくようにも感じられます。
制作したマップを見ていると、「秦野」や「畑」という地名も見受けられます。
そこから、池田の地に秦氏に関わる人々が多く住んでいたのではないか、という想像も広がります。
ぜひ一度、池田にお出かけになって、池田観光マップ、Z-CARD®版をお買い求めいただき、お確かめください。
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池田仁三氏は、昨年5月24日にご逝去されました。
最後の著書「画像解析によって判明した古墳墓碑 上下巻」(青林堂)は、その前日の5月23日に刊行されていました。
最後まで一途な市井の研究者であったように思います。
この著書から、池田氏が日本全国の古墳を調査し、多くの画像解析をされていたことが分かります。
多くの有名な古墳について、被葬者を示すとされる画像も掲載されています。
この著書が、考古学会や歴史学会にどのように受け止められるのか。
その反応に、これからも関心を持っていきたいと思います。
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ご逝去から1年と少しが経ちましたが、たった一度の出会いを思い出さずにはいられません。
ブルボンのアルフォートがお気に入りで、美味しいからと強く薦められたことを思い出します。
知っていますよ、とは言えず、口から出たのは「あ、本当に美味しいですね」の一言でした。
もっとお話をしておくべきでした。
今回は、池田仁三氏に出会った、私にとって大切な記憶のお話でした。
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